ミャンマー通信

2018.12.13更新

ミンガラバー!
院長の原田です。
平成最期の12月を迎え、何かとあわただしい毎日です。

さてそんな中12月2-6日、本年度では最後の訪緬についての報告です。
誕生日から1夜明けた12月2日(※1)靖和病院と埼玉医大一行は成田で合流、一路ミャンマーへ、でなく、今回はマンダレーが目的地だったので、バンコク経由にてタイ航空641便に乗り込みました。
チェックインカウンターにて、係員にお土産の熊手(※2)
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をfragile扱いにて、くれぐれも丁寧に運んでもらうよう念をおして預けました。

今回訪緬の主目的はいよいよ本来の成果物、「マンダレーにリハビリテーションセンターを設立」
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というMEJに採択された案件の本丸の具現化、つまり、設立記念式典
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への参加、およびハンズオンセミナー開催なので、式典に際して先方に手渡す熊手をいかに原形のまま輸送するか?は大きな課題でした。

預けてしまった後はそんなことはすっかり忘れてとりあえずバンコクでトランジットです。(※3)
バンコクはシンガポールとともにアジアでは最大級の空の交通の要所なので相変わらずのにぎわいを見せてました。日本とは2時間の時差のあるタイを後にして、マンダレー到着後は時計をさらに30分戻し(※4)預けた荷物のピックアップです。熊手が預けたときのままの姿
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で出てきたときの安堵感はひとしおでした。が、同じように預けたはずの木川理事長の特製ジュラルミン製と思われるスーツケースはかなり凸凹に歪んでおり、一同驚いた事件でした。

マンダレーは第1回訪緬時に訪れてますが、ヤンゴンよりも内陸避暑地にあって、今は朝夕、かなり冷え込む季節ですが、やはり日中は30度超えで、気温の乱高下に対応が必要です。ミャンマー第2の都市とはいうものの、車で30分も走れば見渡す限りの灌木が散立する乾いた平地が広がっています。道路もヤンゴンより碁盤目状に整備されており、整然とした感があり、賑わいよりも歴史を感じさせます。
そんな古都マンダレー中心地に今回のフォーラムが開催される医科大学はあります。
12月3日は会場チェックと設営
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を行いました。(※5)
時期的に大学新入学期に当たっており(※6)、キャンパスは入学試験をパスしたと思われる新入生たちがはつらつとした笑顔であふれかえっており、いい時期に重なったと(※7)、
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ある意味この時点でフォーラムの成功を確信しました。

Japan Myanmar Rehabilitation Medical Forum
このフォーラムのミャンマーサイドの立役者は先述したLwin学長
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で、半年以上にわたってご尽力いただき、この日を迎えることができたことに対し心より感謝申し上げる次第です。
国際貢献をはじめ二国間で事業を展開する場合、極めて重要なのは一方的な押し付け、独りよがりにならないようにその都度フィードバックしつつ、お互いの思惑を忖度できる関係を構築することですが、今回はまさに我々が何をしたいのかに対して真の理解者がミ国に多かったことは何よりの僥倖だったと思います。

さて、当日は保健スポーツ省大臣が急用で参加できなくなった点以外はプログラム通りに進行、日本大使館からの要人もご臨席いただき大変に盛り上がった会となりました。
聴衆はミャンマーの次世代を担う若手療法士、医師など200人弱が集まり、彼らを前に日本の医療の現状・将来への展望につき、埼玉医科大学国際医療センター小山院長からお話いただいたのを皮切りに、リハビリにおける多職種連携につき、原田が日本の最新機器を駆使したリハビリの現況につき埼玉医科大学国際医療センター高橋教授がそれぞれ登壇し、スピーチを行いました。座長の労は事業を通じてすっかり懇意となったLwin、Kyawzwa Aung,Sheinのお三方におとりいただき、和やかな中にもアカデミックな雰囲気を感じた素晴らしい会でした。

Hands-on Seminar
午後になって、場所を移動してハンズオンセミナー
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を開催、ここでは主に高橋教授を中心とした筋電図(※8)のとり方及び臨床応用といった理論と実技につき約4時間をかけて約40名ほどの研修生と密度の高い時間を過ごしました。

ブレイクタイムには弊院から初参加の欠畑看護師によるアロマテラピー(※9)の説明・実演が展開
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され、ミ国でも盛んな代替医療につき情報共有を行いました。

すべてが終了してみんなで集合写真を撮ったときは本当にみなさんお疲れ様でした、と感無量でした。

翌5日、来た道を引き返しマンダレーーバンコクー成田の帰路も何事もなく、ただ、今回はバンコクでの乗り継ぎに5時間余計に時間を費やしたのが前3回との違いでその分帰国後の疲れを余計に感じましたが、全員無事に訪緬を終えたことをここにご報告いたします。

以上
文責 院長 原田俊一

脚注
(※1) 本事業の統括責任者原田の生年月日は1957年12月1日
(※2) 日本的なお土産を検討した結果、酉の市で購入した商売繁盛の熊手が縁起物でよいのでは、と、メンバーの藤木が提案、自分で行って買ってきたもの
(※3) 例外はあるかもしれないが、ナショナルフラッグを掲げる航空会社は基本的に遠距離を飛ぶ場合、当該国の首都で乗り継ぐ
(※4) 日本―タイ国の時差は2時間、タイ国―ミ国の時差は30分
(※5) 今回のフォーラムはマンダレー医科大学講堂、校舎を使って執り行われた。1954年開学、現在の学長はKhin Maung Lwin教授
(※6) 入学試験は10月―11月に行われ、12月が入学式
(※7) ミ国でも医者になりたい学生は多いようで、したがって成績上位者は医学部を受験するようである。話題の男女比は1:1になるようになっているとのこと
(※8) 神経疾患の診断時に特定の神経を刺激して、それに引き続いて起こる筋収縮を測定、グラフにする
(※9) ある種の植物オイルは人の嗅覚を刺激、鎮静・催眠などの効用を発揮する

投稿者: 医療法人靖和会 飯能靖和病院

2018.11.22更新

ミンガラバー!!
こんにちは院長の原田です。

秋も押し迫ってまいりました。日本はだんだん冷えてきましたが、かの地ミャンマーでは、相変わらず熱帯エリアで、乾季ではありますが、日中は30度を超える毎日です。

今号では11月8日から13日までの訪緬の話題を中心に報告いたします。前号で指摘したANA813便ですが、今回は時刻通りに離陸しました。余談ですが、一般に離陸が遅延する場合、航空会社はお詫びと称して1000円の食事券を振舞うのですが、今回はその恩恵にはあずかれませんでした。(笑)

さて、今回の訪緬の目的は大きく分けて3つあり、(1)ヤンゴン医科大学教授が主宰するASCoN(※1)の招待講演での発表を埼玉医科大学国際医療センター高橋教授とともに行う事、(2)ヤンゴン総合病院リハビリ病棟での見学実習、(3)12月に開催するフォーラム(※2)の下準備といった内容です。
順番に披露致します。


(1)国際学会発表
11月8日からの3日間にわたって行われたこの学会は今年で17回目となり、およそASEAN諸国に相当する19か国が参加して毎年開かれております。リハビリにかかわる事業を展開する上で、このようなアジア諸国のリハビリの現況を知っておくことは非常に重要です。使用言語は英語で、3日間とも大変よくオーガナイズされた運営でした。
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原田は本年度より弊院に導入された、ロボット支援歩行リハビリの目的で開発された「WelWalk」(※3)を用いたリハビリに関するパイロットスタディ(※4)の結果をビデオも交えた発表を行いました。
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本機器は他のアセアン諸国には使用実績がなく、聴衆は興味深そうに聞き入っておりました。高橋教授は装具に関する内容で、この演題にもフロアからも含め(※5)大変な反響でした。
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9,10両日のナイトセッションイベントでは、9日がヤンゴン川を船で約2時間にわたって上り下るクルージング、
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10日は食事を交え各国代表によるパフォーマンスの披露でした。クルージングは演出が効いていて、アバのダンシングクイーン(※6)のリズムに乗って女性医師・オーガナイザーたちが踊っていたのが印象的でした。問題は10日のほうで、いきなりのフリでまず一同狼狽しましたが、いったいどんなパフォーマンスならば、受けとアピールと日本らしさを表現できるかをテーブルで協議の結果、「阿波踊り」をやろう、ということになりました。写真がないのが残念ですが(※7)とりあえずテーブルにあったナプキンを頬かむりし、男性は全員中腰の体勢をとり女性(※8)は立ち姿前かがみになり、ロンジーをまいた福原君を先頭に芋虫状に一直線でステージを数回うねった後、フロアに降りテーブルの間をうね歩いたのちステージに上がる、というパフォーマンスを披露、気が付けば列の後部に数名の外人たちが連なっていました。同じかっこうをして。そして〆はステージ上で横並びになり、2020「お・も・て・な・し」を滝川クリステル流にパフォーマンス、きめました。

学会を総括すると、脊髄損傷(※9)は外傷性非外傷性を問わず諸外国の関心事で、患者予後は家族も含めた人生をも巻き込むことより、いかにして治療成績を向上させるかに皆で知恵を出し合って解決しようという気運をたかめたこと、および脊髄損傷は下枝の動きが不自由という機能的障害のみならず、損傷からくる痛みのコントロールや、精神的抑うつ、気分障害といった精神科的アプローチ、そしてリハビリテーションの実践といった包括的な医療の介入が重要である、などのコンセンサスを確認して終了いたしました。


(2)ヤンゴン総合病院リハビリ研修
埼玉医科大学国際医療センターおよび飯能靖和病院リハビリスタッフによるヤンゴン総合病院のリハビリ病棟での研修を11/9おこないました。
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以前紹介しましたが、この病棟は今回の学会会長であるKhin Myo Hla教授が主催するリハビリ科の管理下にあり、入院・外来患者のリハビリ、除痛、機能障害に対するサポートなどを行ってますが、ミ国ではリハ科の医師は女性が多いのが特徴で(ちなみに現在埼玉医科大学国際医療センターに短期留学中のリハ医も3人女性です)、きめの細かい指示・介入が女性ならではといった点があるのかもしれません。

(3)マンダレー視察
11/11事務方代表で本プロジェクトの起案の段階から深くかかわっている加川さんを中心に日帰りでマンダレー医科大学を視察、12月4日に開催される、Japan-Myanmar Rehabilitation Medicine Forum
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の会場設営などに関する下見を行いました。本フォーラムは機器展示やハンズオンセミナーなども併催し両国間のリハビリの向上などにつき互いに研鑽を積もうという趣旨並びに、本事業をミ国トップの保健スポーツ省大臣(※10)にも
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ご臨席いただき、後押ししていただくといった目的で執り行われる予定です。

以上第4報をお伝えいたしました。

関係スタッフ一同風邪などひいている暇はありません。フルスロットルで業務を遂行してまいります。
皆様のご協力に改めて感謝申し上げる次第です

脚注
(※1) Asian Spinal Cord Injury Networkの略で17年前より主にアジア太平洋の国々の脊髄損傷にかかわる医師・コメディカルを中心に学術交流を深める。来年度はマレーシアで行われる
(※2) Japan-Myanmar Rehabilitation Medicine Forumのこと
(※3) 自動車メーカーのTOYOTAが藤田保健衛生大学の斉藤栄一教授と共同開発した主に脳卒中後遺症重症例に対する歩行のリハビリを行うロボット支援装置。埼玉県では弊院のみが導入している
(※4) 一般的に、研究計画を立てた際に、将来的に汎用性があるかなどを演繹していく場合最初の数例での成果を基にすることが多い。そうした最初の数例の研究。この場合は、WelWalkの有用性を知る目的での実践を言う
(※5) 一般に学会発表では、意見のやり取りがヒートアップしたり多数の聴衆がもっと詳しく聞きたい、などで制限時間内に完結せず、終わって演壇を降りてからのディスカッションをフロアで行うことがままある
(※6) 映画マンマミーアの挿入歌でもあるが、もとは1976年8月にスエーデンのコーラスグループABBAがリリースした
(※7) 全員が踊ってしまったので、撮影している人がいなかった。撮影したと思われる外人たちに写真送ってもらうよう交渉中
(※8) 今回日本人で学会に参加した女性は弊院の藤木師長…紅一点
(※9) 従来治療が困難で解決すべき点は多々あり。このたびiPS細胞を使用した再生医療による治療が行われることに
(※10) 現在ミ国の保健スポーツ省大臣はDr.Myint Htwe氏

投稿者: 医療法人靖和会 飯能靖和病院

2018.11.01更新

ミンガラパー!

みなさん。初めにちょっと訂正です。
いままで、「ミンガラパー」だと思って使っていたミャンマー語の「こんにちは」ですが、ミンガラバーと濁るようです。以後ミンガラバーで統一しましょう。

改めてミンガラバー‼

今号では10月18日からの第2回訪緬およびその頃弊院および埼玉医科大学国際医療センターを訪れたミャンマーからのお客様について紹介いたしましょう。

(1) 第2回訪緬
10月18日、今回は前回のように台風や嵐の影響はなく、スムーズに離陸(※1)と思いきや、機材の変更?などの理由で2時間30分の遅延でヤンゴンへ。今回訪緬の主な目的は、ヤンゴン総合病院リハビリ病棟における研修、ヤンゴン総合病院脳神経外科病棟における研修、そしてミャンマー保健省訪問です。
リハビリ病棟研修は今回から合流した埼玉医大国際医療センターの看護師・リハビリスタッフとともに靖和チーム合同でProf.Khin(※2)の主催する病院でのリハの様子をつぶさに見て回りました。
写真1
同じころ原田らはヤンゴン市内にリハビリ拠点を設立するにあたってのミ国の法律その他に関する調査を市内にある法律事務所を訪れ情報収集に当たりました。前回に比べて3か月後のミャンマーは気温は高いものの、湿度は低く若干過ごしやすい印象(※3)でした。

翌日、医大・靖和チームは合同で脳外科医ミャットトゥの主催するヤンゴン総合病院脳神経外科病棟の視察です。
写真2

一般病棟・ICUおよび同じフロアに手術室があり、動線が確保されています。圧倒的に外傷症例が多く、80%程度を占めており、脳卒中・腫瘍と続きます。年間手術症例は1000例を超えるとの事ですから、ほぼ毎日3例以上の手術があることになります(※4)。脳疾患は程度の差こそあれ、後遺障害を生ずるので、リハビリテーションが必要になり、日本と異なるのは、リハビリで患者を支え、実践するのは家族の役目、という点です。看護師、セラピストはリハのコツ、やり方を家族に指導するのが主な役割ということになります。
写真3
100床近いベッド数に対して看護師は1-3名程度ということでは必然的に家族の負担が大きくなりますが、重症例ではほぼ連日家族の誰かが泊まり込んで患者のケアに努めています。
写真4
医療システムの違い、だけでは説明のつかない人としての根源的なありよう、家族観、家族愛などについて考えさせられる場面です。

日曜日は休み、ということで、ヤンゴン市内にあるミャンマーでも最大級のシェタゴンパゴタを訪れました。入塔に当たっては、素足になることが求められ、時計回りに一周します。塔の中はブッダにかかわる品々が陳列され、歴史の勉強にもなります(※5)。ブッダに参詣し、心を清めたのち、市内にある砦に上り一望し、
写真5
建築中の高層マンションが立ち上がっているのを目の当たりにすると、新旧の混在は万国共通の事柄なのだ、と改めて思った次第です。
夕方、日曜日でもやっているヤンゴン郊外にあるprivate hospitalピンロン病院を訪れ、国立大学(governmental hospital)との違いを視察しました。ここでは最新機器を導入し、外来を中心に金銭的に余裕のある患者を対象にリハビリが行われており、敷地内に併設された脳神経外科・放射線科などとの連携がなされていました。
ポジトロンCTなどの最新機器の導入などもprivate hospitalならでは、といった点が皆保険の日本との決定的な違いです。
写真6
翌日はミャンマー「保健省」(日本の厚労省)を表敬訪問しました。日本の霞が関・永田町に相当する中央官庁などは、首都ネピドーに集中して存在し、ネピドーはヤンゴンから空路45分ほどの距離にあり、新たに作られた人工都市といった感があります。車だと6時間くらいかかりますが、ヤンゴンからまっすぐ北に延びるこのハイウウェイは片道4車線。そう、そのまま滑走路として使用できる広さです。「保健省」とは一般的な名称で、ミ国ではMinistry of Health and Sportsが正式名称で、むしろ日本の厚労省とスポーツ庁が合体した行政機関といえます。その下に7つのデヴィジョンがありますから、かなりの大きさの組織です。

今回は大臣との面談で
写真7
今後の活動に対する理解とご協力をお願いし、最もかかわるデヴィジョンであるメディカルサービス部との協議に臨みました。その後ネピドーからヤンゴンでトランジットし帰国の途に就きました。

(2) ミャンマーからのお客様
我々は10月23日成田につきましたが、その前日よりヤンゴン総合病院リハ科主任教授Khin、マンダレー総合病院主任教授Win、ヤンゴン医療技術大学(※6)学長Mya,同じくリハ科教授Myoら御一行が来飯しており、22日は国際医療センター見学研修、そして、23日午後彼らを飯能靖和病院にお迎えしました。
写真8
弊院で行っているWelWalkなどのロボット支援リハビリ、AR2を使用した上肢訓練、経頭蓋磁気刺激装置などを見学し、ハイテクを駆使したリハビリに非常に興味を示したようです。その後回復期病棟および前回のお客様も訪れた畑での作業療法の見学をもって、弊院の見学研修を修了、今回は木川一男会長も表敬を受け、
写真9
ホテルへ戻りました。

その後市内のレストランで一席設け、盛り上がった一晩をもって訪緬・来日歓迎の一連の日程を終了しました。
写真10

ミャンマー事業は現時点で(10/30)おおよそ全予定の半分手前くらいまでこなしております。
今後は11月の国際学会参加、12月のセミナー開催などなど、まだ続きます

以上文責
病院長 原田俊一

(※1) 成田発ANA813便ヤンゴン行き直行便は定刻より2時間半遅れる傾向があります。
(※2) Khin Myo Hla先生。第1報でも登場しましたが、ミャンマーのみならず東南アジア全体のリハビリ界のリーダー的存在で、今回事業のミャンマー側のキーマンです。
(※3) ミャンマーは南北に長い国ですが、ヤンゴン周辺は熱帯に属し、10月くらいから降雨量は少なくなります。
(※4) 一概に優劣は言えませんが、病院が少ないためにそこに医者・医療従事者・患者が集中、例えば手術の経験数などは日本の平均の数倍になり、日本は逆に症例が分散、どの病院も症例獲得に躍起となる傾向にあります。
(※5) ミャンマーでは国民の90%が仏教徒で、13%が僧侶。そしてミャンマーの仏教は小乗仏教です。(※6) ミャンマーでは理学療法士が年間30人ほど誕生しますが、ここの大学の卒業生、つまりこの大学はミ国唯一の理学療法士養成学校ということになります。

 

投稿者: 医療法人靖和会 飯能靖和病院

2018.10.17更新

みなさんミンガラパー!
ミャンマー通信第2号をお届けします!


秋晴れというか季節外れの真夏の日差しに迎えられ、ミャンマーからのお客様は、10月1日台風24号の合間を縫って定刻通り成田に到着しました。(6:30AM)そのまま、飯能においでいただき、我々と一緒に(木川・原田)霞が関の経済産業省(経産省)へ向かいました。そこでは、今回の事業「ミャンマーにおけるリハビリテーション医療推進拠点設立事業」の進捗状況の報告も兼ねた表敬訪問が行われ、テーブルを挟んで、経産省・MEJ(Medical Excellence Japan)のスタッフと我々(キンモンルイン、チョウゾウ=マンダレー医科大学、ミャットツ=ヤンゴン医科大学、ススさん=通訳、木川、原田)6人とで有意義なディスカッションが執り行われました。詳細は割愛しますが、ミャンマー大学病院要人および我々はできるだけ引き続いての事業の継続につき陳情、先方からは近未来の国家事業への移行を促進されるよう、といったご指摘をいただきました。
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御一行はその後帰飯(※1)し投宿。
長旅の疲れと省庁訪問といった緊張から解放され、泥のように眠った…とのことでした。

翌2日午後、御一行は日の丸とミャンマー国旗がはためく我々飯能靖和病院を訪れました!
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午前中は疲れを取るべくホテル(飯能ヘリテイジ)でのんびりしているものと思いきや、巾着田(※2)の曼珠沙華と高麗神社(※3)へ出かけたとのことで、パワーはまだ余っている、の感でした。残念ながら、前の日の台風で曼珠沙華は跡形もなく吹き飛び、そばを流れる高麗川の水面だけ見てきたそうです。御一行は昼礼にてご挨拶をいただいた後、
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院内を見学、3時間以上じっくりと病棟、外来、リハ施設、畑(※4)などを熱心に見て回りました。
特に最近導入したロボットリハビリ「WelWalk」でのリハビリの実際や、AR2,経頭蓋磁気刺激など当院のリハレベルの高さ、スタッフの多さなどに感心しておられました。
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使用言語は英語及び通訳のススさん(※5)を介しての日本語・ミャンマー語で、まったく問題なくやりとりが可能でした。
夜、飯能市内で一席設け、飯能2日目の晩を堪能していただきました。
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10月3日から2日間は埼玉医科大学国際医療センターリハビリ科を訪問、センターでのリハビリをつぶさに見て回りました。
主にリハ科高橋教授(※6)がアテンドし、最新式の設備や機器などの解説をいただき、ミャンマー国との違い、特にリハスタッフの種類(※7)数の多さなどが際立っているとの感想でした。
御一行はすべての見学研修を終えたのち、ちょっと北海道へ足を伸ばし、10月7日無事帰国の途につきました。


(※1) 個人(原田)の勝手な造語:飯能にくる=来飯 飯能に帰る=帰飯など
(※2) 日高市内を流れる高麗川の河原で、この時期曼珠沙華渋滞もめずらしくない
(※3) 建郡2000年を超え初詣でもにぎわう。春は枝垂桜がきれい
(※4) 当院看護師の加藤家の畑を使って耕したり、種をまいたり主に作業療法の一助としている
(※5) かつて南山大学に学んだ才女で日本語・英語・ミャンマー語の読み書きに精通、今では日本語独特の表現(猫の額ほど、らちが開かない、大目に見る、など)も自由に使いこなす
(※6) 埼玉医科大学交際医療センターリハビリ科教授。小樽出身の飯能通
(※7) 日本では普通だが、ミャンマーでは国家資格としてのセラピストはなく、さらに作業療法士や言語聴覚療法士はそもそも一般的でない。近年少しずつ誕生する動きはあるが・・・

以上文責 院長 原田 俊一

投稿者: 医療法人靖和会 飯能靖和病院

2018.10.03更新

初めに

ミンガラパー、みなさんこんにちは!
病院長の原田です。

このたび、われわれ飯能靖和病院は、埼玉医科大学国際医療センターとコラボして、経済産業省(経産省)関連法人MEJ(Medical Excellence Japan)への事業申請が採択されたことにより、ミャンマー(旧英領ビルマ以下=ミ国)においてリハビリテーションの拠点を設立するというヘルスケア事業を展開する運びとなりました。

事業計画のあらましは以下の通りです。

簡潔に申しますと

(1) ミ国のヤンゴン(旧ラングーン)、マンダレー2都市にある医科大学病院近辺にリハビリテーショントレーニングセンターを設立(最終ゴール)
(2) そのために、ミ国におけるリハビリテーション(以下リハ)の現状、特に需要と現況を調査する
(3) リハ機器充足状況などのハード部門および人的資源育成状況などのソフト部門の現況を調査する
(4) 双方向性の人的交流、つまりミ国での啓発セミナー、研修指導の実施やミ国からの研修生を招聘し、弊院および埼玉医科大学国際医療センターでの研修を行う
(5) 上記に関する進捗状況をその都度MEJに報告する

おおよそ以上のようになります。

さて、なぜ今ミャンマーなのでしょう?みなさん疑問に思われるでしょう。
実は数年前から木川理事長と私は、共通の師匠である藤田保健衛生大学名誉院長・神野哲夫先生(※2)が理事長を務めておられた国際医療連携機構(JIMCO)のメンバーとして国際医療貢献・支援事業を展開してまいりました。ミ国の脳外科医たちとも親交があり、そんなお付き合いの流れの中で、このたび私が弊院に赴任したのを機に日本式リハをミ国に事業展開することでお役にたてれば、と事業計画をMEJに応募したところ、採択されて今に至ったということです。MEJ の期するところは、日本式事業のOUTBOUNDS(輸出)なので、単にボランティアではなくビジネスモデルとして成り立つのか?を問うてますので、本案件でもこと細かい調査報告が求められております、という点を付記します。


第1回訪緬

さて、ここまでがいわばプロローグです。
今号では第1回訪緬(漢字でミ国を緬甸と表記しますのでミ国を訪れることを訪緬と表します)についてその様子をご報告いたします。2018年7月29日は台風12号の影響で日本列島は悪天候に見舞われました。そんな中、我々訪緬メンバーは成田に集結しました。

1
成田発ヤンゴン行ANA813便は3時間の遅れで出発、7時間後にヤンゴン国際空港に着陸しました。
日本とミ国には2時間半の時差があります。

7/30にマンダレーに移動、マンダレー医科大学のKhin Maung Lwin学長を表敬訪問、われわれとの間で今後の双方向性のやり取りについて合意しました。
その後大学病院のリハ施設を訪問、実際のリハビリの現場について取材しました。2

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取材終了後、時間があったので夕方マンダレーヒル中腹にある寺院を訪れました。

今回、メンバーは靖和病院のオリジナルTシャツを作成、その写真です(※3)。
4
寺院は見晴らしと風通しの良い絶好のロケーションでした!

翌7月31日、マンダレー医科大学のリハスタッフとミーティング。その風景です。
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弊院のビデオ、国際医療センターのビデオなど、を使って互いの情報交換をしているところです。
夕刻ヤンゴンへ戻ります。


8月1日、今度はヤンゴン第1医科大学表敬訪問、情報交換です。
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ここでミ国リハビリの重鎮Khin Myo Hla教授のミ国におけるリハビリの現状について貴重なご講演をいただき、
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合わせてヤンゴン医科大学リハの施設見学、インタビューを行いました。
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ここで、Khin教授より11月に行われる国際学会において、高橋教授と私がシンポジウムでの招待講演を依頼されましたので、快諾いたしました。Khin教授が主催するビッグイベントです。

駆け足の6日間でしたが、次回以降につなぐ収穫を得ることができたことをご報告いたします。
chizu

今後の予定は以下の通りです。

2018年10月 飯能靖和病院・国際医療センタースタッフ訪緬(現地調査)、ミャンマー医師団訪日、来院
2018年11月 ミャンマーリハカンファレンス招待講演(高橋教授・原田)11/10(ヤンゴン)
2018年12月 ミャンマー医師研修:2019年1月まで国際医療センター、ミャンマーセミナー開催:12/4(マンダレー)



(※1) ミンガラパー ミャンマー語で「こんにちは」
(※2) 1940年三重県生まれ アジア脳外科コングレス名誉理事長。世界脳神経外科学会終身名誉会長他。あまたの功績により2016年今上天皇に拝謁・下賜さる。
(※3) 今回作成したオリジナルTシャツは理学療法士福原がデザイン。弊院のロゴつつじを左腕に、病院名を背中にプリントした。ミ国の国旗の色を基調にあしらった。

第1回訪緬メンバー(敬称略・五十音順)
飯能靖和病院:加川智弘 西尾大祐 原田俊一 福原直哉 藤木千夏
埼玉医科大学国際医療センター:高橋秀寿

以上文責 飯能靖和病院長 原田俊一 

投稿者: 医療法人靖和会 飯能靖和病院

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